釣りバカGちゃん釣行記

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 (閲覧注意) 山の呼び声

 9月22日
 おはようございます (●'◡'●)
若い頃のGちゃんにとって山といえば 岩と氷・・百歩譲って沢登 という感じだったん
です。
剣も穂高もいいんですが、毎週通うわけにはいきません。そこで『近くて良き山なり』と
先人も言った谷川岳がホームグラウンドになったんです
 
 毎週末 上野発 22:13 (だったと思います)の長岡行普通列車に乗ります この列車は
ごく普通の通勤列車なんですが週末には ”山屋御用達列車” になってしまいます。乗客の
3割は通勤のサラリーマンこの方々は殆ど高崎までには降りてしまいます。残り3割が
尾瀬に向かうキャピキャピした男女混成パーティーこれも沼田で降りていきます。
残りが谷川岳に向かうちょっと薄汚いイメージの連中と ごく少数の只見方面に向かう
マニアックなオッサンたちという構成でした


 谷川岳は統計を取り始めた1931年(昭和6年 上越線が開通した時)から2012年までに805名という遭難死者を出し、不名誉なギネス記録を持つ「魔の山」と言われてます。


「山々に 山がすべてであらねども すべてをかけて悔いることなし」
「来てみれば 聞きしに勝る一ノ倉 若き命をとわに包て」


上の2句は一ノ倉沢出合い(旧道と沢が交わる事実上 一ノ倉の入口)に残された遭難者
のご遺族が設置したレリーフに残されたものです


 初冬の一ノ倉


 夏の一ノ倉と若き日のGちゃん 雪の残り具合から7月中旬だと思う
この一ノ倉の名を日本中に響かせる遭難が昭和30年に起きました 場所は衝立岩 ⇧の写真
のGちゃんの真上に見える三角形の岩壁です 20と23才の若者が宙吊りとなり死亡 死亡の
確認は双眼鏡で観察し動かないことから死亡していると判断⇒なんだかなぁ・・という感じですが近くまで行けない以上 仕方ないことだったのかもしれませんね。


 
 そして この遺体を収容する方法が狙撃によりザイルを切断して 200m下の岩場に落下
させるというものでした。自衛隊から選び抜かれた狙撃手がライフル弾 1,300発を使用
して切断に成功 落下したご遺体を収容したとのことです。驚くのはこの写真も含め狙撃
の様子 ザイルが切れ落下するご遺体までもニュース映像として流れたことですよね
 当時は報道の規制等なかったのでしょうか?


 この衝立岩もGちゃんが現役の頃にはすっかりポピュラーなルートとなり、多くのクライマーを迎えていました。Gちゃんも5~6回は登ったと思います。


 衝立を登るGちゃん


 岩登りに限らず 特にアウトドア系の遊びというのは その行為が持つリスクが大き
ければ大きいほど若者を惹きつけるものだと思います それが山の魅力であり、一度
それにはまり込んだ者たちへの呼びかけになるんですね


 なんか なにが言いたいのか分からないような文章になってしまいました。
朝から不気味な写真などお見せして申し訳ありません。
Gちゃんはそろそろ朝食の時間です。


 皆様方にとって今日という日がいい一日となりますように💖