自然と遊ぶ
10月10日
こんばんは (●'◡'●)
新しい週が始まった まだ身体中が痛いGちゃんww 現場に着いて車から降りると固まって
しまい暫く動けないでいると、心配してくれる下請けの親方
親 「どうしたのGさん 急に寒くなったから古傷が痛む?」
G 「ウ~~ン まぁそんなとこだな」(新しい傷だとは言えないww)
親 「そっか・・やっぱり身体の中に金物が入ってるのは大変なんだね~」
G 「そりゃそうだなウン」(心の中で舌をペロリ)
親 「今日は事務所で休んでて大丈夫だよ。分からないことがあったら聞きにくるから」
G 「おう悪いけどそうしてくれ」(再びペロリペロリ)
という一幕があり、ゆっくりしてたGちゃんだ ( ´・・)ノ(._.`)
このところ釣行記なのか山行記なのか分からないようなブログになってしまっているww
今週末も微妙な位置にいる台風のおかげでどうなることやら
まぁ 海も山も自然の中で遊ぶという点では共通してるからいいんじゃねぇ? とかなり
いい加減なGちゃんだ
今日はGちゃんの愛読書の中から浦松佐美太郎著「たった一人の山」から抜粋した一文
を紹介しよう。Gちゃんが中学校時代国語の教科書に載っていたのでご記憶の方もおられる
のではないかな?
~上高地へ入る少し手前、焼岳の煙を背にするあたり、林の中の道を幾曲り、川瀬の音が急に高くなってくる。
梓川は、ここのところで急にくびれて、力強い流れとなる。岩の上を乗り越えて、落ちてゆく水は、滑らかに早い。目にもとまらない早さで落ちてゆく水を眺めていると、自分の頭の中までが、強い力で洗われてゆく。街の中から、ここまで運びあげてきた一切の雑念が、暫しの間に洗い去られてゆく。
岩の上を滑ってゆく水は、よれて、もつれて、また戻って、同じことを繰り返しつつ、少しも休まず流れている。流れのひと所を見つめていれば、水の姿の変化は、ただこれだけだ。
触れれば切れそうに冷たい水だ。底の底まで透きとおった水には色がない。あれば、山の上に拡がる、飽くまで青い空の色を映しているに過ぎない。しかし、流れの底に、きらりと翻る光は、空のものではない。梓川の流れが、岸に佇む自分の魂を打つのは、この水を走る光のためだ。~
こんな文章を読んだら多感な少年時代のGちゃんが 梓川・上高地・槍・穂高に憧れない
わけがないよね~ww もしこの文章に出会わなかったら、Gちゃんの青春時代はまた違った
ものだったのかもしれない。 ジジィの戯言でした ಥ_ಥ
ではパジャマに着替えて休むことにする。👇 最近のGパジャマ 可愛いでしょ?
では おやすみなさい いい夢を 💖
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