釣りバカGちゃん釣行記

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釣り馬鹿Gちゃん釣行記 山のこと 4


 島崎藤村の「千曲川のほとりにて」を手に 千曲川沿いを歩いた中学時代のGちゃん
そこで山の威容に魅了され、ガイドブックを読み耽る。(買う金は無いから 図書館で
探したり、古本屋巡りをしたり・・)

 初めての2000mを超える山 奥秩父の入門ルート的な山で乾徳山。
千葉を4:30の始発電車で出発。一人での日帰りの山でした。
 高校に入学し、すぐにワンダーフォーゲル部をのぞくが・・ン・・?なんか違うゾと
入部せず。その頃 大恩人と出会う 行きつけ(と言っても都内だからせいぜい月に1~2回)の山道具の専門店の社長でH氏という。H氏は「たかが山登りじゃないか これが正解っていう道は無いんだよ。君は君の思うとおりにすればいいんだ。ただしこれだけは約束してくれ」と言って1枚の紙を出してきた。登山計画書・・「君がどこかに行くときは これに書き込み、店と君の自宅に置いて行くこと。あと 電話のあるとこまで下りたら 必ず両方に電話すること」とこれは固く約束させられ、この書式はGちゃんが山をやめるまで 富山県警・長野県警・谷川岳登山指導センター等に届けを出すのに使わせて頂いた。


一人ぼっちの大縦走
 高校2年の夏のはじめ 何時ものように店に顔を出すと、H氏「G君 赤牛岳って知って
るかい?」と言ってきた。 北アルプスの秘境と呼ばれ、槍・穂高の年間登山者数が10万
とか15万とかいわれてる時代に 赤牛 50人~100人 というぐらいの知識はあった。
 何故ひとが少ないか 決して魅力が無いわけでは無い。どっしりした山容でいい山だとは
思うが・・そう伝えると 「君 この夏にいっておいで。どこから入山して どこに下りるか計画書作ってきな」とH氏 他ならぬH氏の言葉だ Gちゃんは二つ返事で「ハイッ!」 それから1週間ぐらいかけて色々資料を調べ、計画書を作って店に行くと険しい顔でそれ
を見たあと「本気か?」と一言 言った後「まぁ 頑張っておいで」と言ってくれた。
Gちゃんの計画はざっと書くと


上高地~前穂~奥穂(泊)~北穂~南岳~氷河公園(天狗池)(泊)~槍ヶ岳頂上往復
(泊)~双六岳~三俣蓮華岳(泊)~鷲羽岳~水晶岳~赤牛岳~奥黒部ヒュッテ(泊)
~黒四ダム(泊)~下の廊下~阿曽原温泉(泊)~宇奈月温泉
すべてテント泊で7泊8日予備日を2日みて 9泊10日というものだった。


 8月20日出発を伝え 隣の喫茶店から出前して貰ったコーヒーを飲んで店を後にする。
当日22:30新宿発アルプス6号(だったかな?)松本駅につきタクシー乗り場に行くと
ビックリ Gちゃん様と書いた大きなプラカードを持った運転手がいる。聞くとH氏
から電話を貰ったという。「会社の手前 あと3人乗せるから、君は前にのってな」と
いい前に乗せてくれ、出発 結局Gちゃんの分の料金は受け取ってもらえなかった。
(当時は松本電鉄で島々まで行ってバスに乗り換えるより乗り合いタクシーで行ったほうが
安上がりだった)

 河童橋からの梓川と穂高 心が洗われるような景色です。
ここから1時間ほど平坦な道を歩き、重太郎新道という北アルプス屈指の急登(クサリと
梯子が連続する)を40kgのザックに苦しめられながら登り、前穂高へ

 前穂から奥穂を臨む 前穂から奥穂は歩きにくいガレた稜線をたどり、1日目のテント場へ もうオフシーズンになりかけており、Gちゃんのほかは数張りしかテントはなかった。

 北穂から昨日歩いてきた前穂~奥穂の吊り尾根を臨む。左手前が涸沢カール 前穂から左
に落ちる鋸のような尾根が北尾根 その向こう側が映画・小説で有名な 氷壁の舞台となった前穂東壁だ。


 クサリと梯子の連続でヘトヘトになりながら、キレットの途中から穂高を振り返る
南岳から主稜線を外れ、槍沢側に下り天狗池へ

 水面に映る槍ヶ岳が綺麗らしいが この時のGちゃんにはそんな余裕はなく、岩陰でシュラフに入り込み早々に就寝 この日はここにはGちゃんだけだった

 3日目 少し余裕があった日 槍の肩(写真の左端のもうちょっと左)に荷物を置き、
頂上往復。15:00ごろからテントのなかでゴロゴロ


 4日目 北アルプスのメインストリートとでもいうべき よく整備された縦走路を
雷鳥を眺めながらのんびり歩く。ただ 腹が減ってて 雷鳥の親子なんか見ても
うまそうだなコイツという発想しかない。そりゃそうだ 朝はコンソメスープ一杯
昼は野菜クラッカー1箱と6Pチーズ1かけら。夜はアルファ米とボンカレーと紅茶1杯
という毎日だから。三俣山荘のテント場にもGちゃん以外は2張りしかテントはなかった


 5日目 三俣山荘から鷲羽、水晶を臨む。手前が鷲羽 左奥が水晶だ。赤牛はそれよりもっと奥になる。この日の行動予定が一番長く、ガイドブックのコースタイムで13~14時間。



 水晶から赤牛を臨む。水晶の頂上で二人の登山者がいたが、その方々と別れると 10時間以上人一人 人工物一つ見えない完全に静寂の世界 不思議な感覚だった。
 人恋しくなったGちゃんは 今日はテントじゃなく、山小屋に泊まろうと それだけを思いながら奥黒部ヒュッテを目指す。薄暗くなる頃 やっと林の中に建つヒュッテに到着。
ン・・?人の気配がない 怪訝に思いながら表に廻ると 「管理人急病のため下山します。
お泊まりの方は裏口からお入り下さい」の張り紙・・もの凄い落胆と 自分自身との取り決めを破らずに済んだというほんのチョッピリの安堵感
 しかし布団の誘惑には勝てず中に入って寝る支度をしてると、なにやら物音が・・
ライトを手にそっとドアを開けると 女性の姿が。Gちゃんの「ウワッ!」という声とむこうの「キャッ」と言う声が同時だったと思う。
 その後 二人で笑い出し、不気味だから同じ部屋で寝ようということに。
久しぶりに人と話しできたのとその相手が女性だということでGちゃんの興奮度はMAXに
だがそこはチェリーボーイのGちゃん何事も無く寝落ち。
 翌朝 朝ゴハンをごちそうになり、北と南に別れる。聞けば昨日Gちゃんが来た逆コース
また会えるかもね~などと言いながら握手して別れた。

6日目 黒部川のここより上流はこんな感じになっており、上の廊下とよばれている。
さて Gちゃんはここから下流 黒部湖をめざす。道は川沿いで多少のアップダウンはあるが 歩きやすい道だ。

 Gちゃんが是非やってみたかったのが下の写真。平らの籠渡し(谷の上に張られたワイヤーにセットされた籠に乗って 自力でロープをたぐり寄せながら渡るというもの)残念ながら黒部ダムの完成とともに廃止され、いまでは関西電力に委託された動力船が運航している。(乗船料無料って 関西電力さん太っ腹ですね~^^)


 黒部湖左岸に渡ると 整備された単調な道をテクテク。これはこれでつらいものがある。


 黒部ダムにつくと早速 公衆電話を探し、「アッ 俺 今黒部ダム」ガチャ。通じたかな?ここからバスで信濃大町に出て帰りたかったが、ここからが今回の核心部。
 萎む心と疲れた体に鞭打って 登山者用通路(トンネル)に導かれ、ダム下流の河原に
でる。この河原にテントを張り就寝

 7日目 河原より下の廊下へ 関西電力(当時は日電かな)が黒部第三発電所を建設するときに開発したものらしいけど、当時の苦労がしのばれます。また、この縦走のあとで知ったことですが、末とはいえ、8月中に通行出来るのはごくまれなことで 例年は9月の中旬から10月一杯だそうです。(Gちゃんはラッキーでした)


 黒部にケガ無しとよく言われてますが、(ケガでは済まないという意味)高所恐怖症
の方には無理な道ですね。


 

 谷間にひっそりと建つ阿曽原温泉小屋。


 露天風呂は 混浴ですが残念ながら女性と男性の使用時間が決められており、期待どおりにはいきませんでした。

 8日目 もうほとんど高低差もない水平な道をただり、欅平の駅に。

 紅葉シーズンなどには まず乗れない(切符の入手が困難)と言われるトロッコ電車にも
無事乗ることが出来、宇奈月温泉へ出てこの旅も終わりました。


 長々と大昔の想い出話にお付き合い下さり ありがとうございました。