釣りバカGちゃん釣行記

釣行記  日々のこと  想い出

釣り馬鹿Gちゃん釣行記 鬼泪山

 4月21日
 鬼泪山 千葉県富津市にある標高300mほどの山です。現在その殆どが「鹿野山マザー牧場」の敷地となっています。というより、マザー牧場が鹿野山ではなく、鬼泪山にあると
言ったほうが正解かも。。


 本来 山名に鬼がつくのは峨峨とした岩山が多いんですが、ここ鬼泪山はなだらかな
女性的な山容をしています。
 今はネモフィラの盛りですね。



 

 ※ 上の2枚はお借りした画像です。



 単体でも 可愛い花ですね。


 こんな柔和な顔の裏に この鬼泪山には悲しい伝承があります。
「姥捨て」の伝説です。こんなに人里から近く、こんなにたおやかな山に??と不思議
に思ったGちゃん ちょっと調べてみました。



話は飛んで 「遠野物語 デンデラ野」同じく姥捨て伝承です。


遠野の郷土史研究者は 姥捨ては現代の老人ホームと同じで集落からそれほど離れていない
場所での高齢者だけでの共同生活と考えているようです。


遠野の姥捨て伝説は、ほかの地域のものとは少し違うと言われていますが、どういうところが違うのでしょうか?


まずは、『遠野物語』に記されている、デンデラ野の逸話を見てみましょう。


『遠野物語』の中のデンデラ野
遠野の姥捨て伝説は、『遠野物語』の第111章「ダンノハナと蓮台野※2」で、知ることができます。
※2 ダンノハナは共同墓地。以前は処刑場があったとも言われている。蓮台野(れんだい
の)はデンデラ野のこと



そのあらすじを、簡単にご紹介します。


【第111章 ダンノハナと蓮台野】
山口、飯豊(いいで)、附馬牛(つきもうし)の字荒川など、7つの集落には、同じようにダンノハナと呼ばれる地名があり、それと向かい合って、必ず蓮台野という地名があります。


昔は、60歳を超えるとみんな、この蓮台野に送られる習わしがありました。


送られた人々は、すぐに亡くなることはなく、昼間は里へおりて農作業などをして暮らしをたてていました。


そのため、今でも山口、土淵のあたりでは、朝、田畑に出ることをハカダチ※3、夕方、野良仕事から帰ることをハカアガリと言うそうです。
※3 デンデラ野の老人たちが農作業の手伝いに来ることを「墓」であらわしたという説や、1人の労働の量を「ハカ」とあらわす説などがある


なんと、遠野の老人たちは、デンデラ野へ送られた後も、昼間は里へおりて、農作業などを手伝うことができたんですね。


と、いうことは、デンデラ野では、送られた人々が生活できる環境があったということでしょうか。


次は、当時のデンデラ野での生活のようすがわかる、デンデラ野の跡地をのぞいてみましょう!


山口集落に残るデンデラ野の跡地
山口集落のデンデラ野は、町の生活道路から坂道を少し上がった場所にあります。


坂道をはさんで、向かって左が田んぼ、右がデンデラ野。


遠野デンデラ野姥捨て


デンデラ野からは、田んぼのようすがよく見えます。
しかし、家族から離され、衣食住が十分ではない場所で、高齢者ばかりで暮らす、ということは、「なにか」があったら、すぐにすべてが終わってしまう、ということです。


食べ物や水が手に入らなくなったり、清潔が保てず病気がはやったり、台風や大雨にあったり、獣に狙われたり。


送られた人々は、そういうこともすべて分かったうえで、家族を守るためにデンデンラ野へ向かい、最期の日々を過ごしたのではないでしょうか。


「食料を無駄にはできない」、でも「60歳でただちに死ぬ必要はない」。


デンデラ野へ老人を送る慣習は、飢饉などの現状と、老人への敬意、どちらも踏まえた、遠野らしい「ありのまま」の最善策なのだと感じました。


全国に数多く残る姥捨て伝説 すべてがこういうシステムだったのならいいな~~と思う
Gちゃんです。


今日もお付き合いありがとうございます。ではまた~~^^