釣りバカGちゃん釣行記

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釣り馬鹿Gちゃん釣行記 山岳遭難

 山岳遭難 本人もそうですが、残された家族にとってはたまらない出来事ですね。
今日は遭難者が残した遺書を2点紹介します。


松濤明氏の場合
 彼は昭和24年 北アルプス槍が岳の北鎌尾根で遭難死されています。


1⽉6⽇。⾵雪
全身凍って⼒なし。
何とか湯俣までと思うも有元を捨てるに忍びず死を決す。
お⺟さん、あなたの優しさにただ感謝。
⼀⾜先に、お⽗さんの所へ⾏きます。
何の孝養も出来ずに死ぬ罪をお許しください。
井上さんなどに⾊々相談して・・
井上さん、⾊々ありがとうございました。
家族の事またお願い。
⼿の指、凍傷で思う事千分の⼀も書けず申し訳なし。
⺟、弟を頼みます。
有元と死を決したのが6時。
今、14時、中々死ねない。
ようやく腰まで硬直がきた。
全⾝ふるえ、有元HERZ(チョッと意味不明・脈が弱ってきたか︖)
そろそろ苦し。
⽇暮れと共にすべて終わらん。
ユタカ・ヤスシ・タカオよ済まぬ、許せ。
強く孝養たのむ。
最後まで戦うも命。友の辺に捨つるも命。共に逝く。


沢田義一氏の場合
 彼は昭和40年 北海道日高山脈で雪崩にあい、生き埋め状態でこの手記を残しています。


沢⽥リーダー⼿記(全⽂)
3⽉14⽇(⽇︖)の深夜2時頃、(後で時計を⾒て逆算した) 突然ナダレが雪洞をおそい皆寝
ているままにして埋めてしまった。
最初雪洞の斜⾯がなだれたのかと思ったが、 後ですき間を少しずつ広げてみた結果、⼊⼝よりデ
ブリがなだれこんできたものだった。
皆は最初の⼀しゅんで死んだようだったが、私は幸いにして⼝のまわりに間隔があったのを次第
次第に広げて、ついにナタで横⽳を2m近く掘って脱出しようとしたが、 外はデブリで埋まって
いるためか、⼀向に明るくならずついに死を覚悟する。 只今14⽇13時10分。
しかし何とか外に出たいものだが、根気負けしてしまった。 ⼀休みしてから考えよう。
お⺟さん、お⽗さんごめんなさい。⼀⾜先に⾏かして貰うだけです。きっと、何かに⽣まれ変っ
てくるはずです。その時お⺟さんお⽗さんを⾒守っているはずです。
⼟⽥のおばさんすいません。⼼配が本当になってしまいました。でもゆるしてくださいね。⽥中
さん、坂井君、松井君、中川君、橋本君ごめんなさい。とりかえしのつかぬ失敗をしてしまっ
て。
皆さんのお⺟さんごめんなさい。ついにやってきたのです。きっと天から皆さんを⾒守っている
つもりです。せめてできることはその位です。早く安らかに眠りたいものです。 どうせ死ぬなら
僕ひとりだけです。14⽇13時20分
内藤さんアマゾンはどうでした。尾崎さん別にいいんです。
佐藤君、牧野内君、友達として⼼のふれあう君達だった。 佐藤君には5000円借⾦していま
す。
海内さんだって、波多江さんだって、⼩泉君だって死んでいるじゃないか。 ちっともさみしくな
いはずだ。
杉⼭さん御指導ありがとうございました。
ルームの皆さんさようなら。松⽥君、庵⾕君すいませんが後始末をお願いします。
広瀬先⽣すいません。上⼭さんお先に⾏きます。 鈴⽊、清⽔、裏、⼭下、⽥中、井上、林頑張
れ。
何がなくなっても命だけあれば沢⼭だ。死を⽬の前にしてそう感ずる。 親より早く死ぬのは最⼤
の情けない気持ちだ。
松井君は⼀⼈⼦、橋本君は男⼀⼈、僕も男⼀⼈で、 親のなげき悲しむ様⼦が⼿にとるようにわか
る。
3⽉14・15・16・17⽇と寝たり掘ったりする。 ⽇付は時計の針でのみ計算する。
ナタが⼿に⼊った。懐中電灯が2ヶ、スペアの電池が1ヶ、⾮常⾷が2⼈分。 掘っても掘っても
明るさがでてこないのでがっくりしている。
⽣は10%ぐらいだろう。17⽇朝8時。
お⺟さん本当にごめんなさい。今まで育ててくれたつぐないをなさずに、 先に⾏ってしまうなん
て。
今は⽐較的落ち着いています。仲間が皆そばで眠っているせいでしょう。
後1週間くらいならこのまま寝て待っていられるのだが、 25⽇ごろ騒ぎだして、捜索隊がここにつくのは早くて29⽇。
そしてここが⾒つかるかどうかもぎもんだ。 13⽇にここであった⼭スキー部のパーティが、 ⼀緒に来てくれれば分かり易いのだが、 あの時あいさつしておけば良かった。 向こうのパーティも知らん振りしていってしまった。
佳江、珠代へ。先に死んでしまってごめんよ。 お⺟さん、お⽗さんはこれからお年寄りになって
いくんだから ⼆⼈仲良くして、お兄ちゃんの分も良く⾯倒みてあげて下さい。
昌⼦姉へ、お⺟さんお⽗さんの事よろしく。
お⺟さん今死んでしまうなんて残念だ。切⾓背広も作ったのにもうだめだ。


前途有為な若い人が 突然亡くなるのは辛い事ですね。


今日もお付き合いありがとうございます。 ではまた~~^^